基準になっているもの

人はなぜ楽しさや辛さを感じるのか。或いは他の感情でもいい。
人は感じるために生まれてきたと思っています。
いろんな経験をすることによって、どんな感情を感じ、どんな行動を取りたくなるのか。
たぶんそのためにこの体に宿って人生という時間を作ったんだと思うんです。

おそらくですが、生まれた直後には善とか悪とか、そういう基準は持っていなかったんではないでしょうか。
そして成長に伴って一番身近な家族の持つ価値観を植え付けられました。

「これはいけないこと」「あれはいいこと」

もしその価値観に背けば罰が待っていた。
もしその価値観に沿うとご褒美が待っていた。
そして知らず知らずのうちに、その価値観を自分の価値観として受け入れた。

そのうち保育園など、団体で生活する環境に入れられた。
そしてそこでは同じように家族の価値観を受け入れた者同士が一緒に生活する時間を持つことになる。
するとどうだろう。
今まで善だと思っていたことや悪だと思っていたことが、そばにいる彼と比べると、ちょっと違っていることに気付いた。

「これは大変なことだ!」
「早く注意してあげないと彼が罰を受けてしまう。」

そこであなたは勇気を振り絞って行動に出た。

「君、それは間違っているよ。間違ったことをすると罰が下るんだよ。」

彼は不思議な顔をして君を見ていた。
そして彼は言った。

「君こそ間違っているよ。このままだと君が罰を受けてしまうよ。」

そうだ、お互いに相手の事を思って、間違いを正そうとしていたんだ。

こんなことは日常茶飯事、どこにでもある光景だ。
それが行き過ぎると戦争になったりする。
結局基準が違えば、正義も悪も違った形をして見えるものだということ。

そしてもう1つ大切なことはこれだ。
「基準に決まりはない」ということ。

もし今、何かに悩んでいるなら、自分が持っている価値の基準を調べてみるといい。
その基準は必要なのか考えてみるといい。
それだけで悩みから解放されることは、よくあることだから。

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